サンフラワー
俺は勢いよく自動ドアの外に飛び出した。
「…はあ…はあ…」
息が切れ、上手く呼吸できない。口から吐く白い息が俺の顔をよぎっていく。
暦の上では春のはずなのに、外はまだ体が凍えるほどの寒さが残っている。
呼吸を整えると近くの植木の横に座り込んだ。
「…っつ…っく…」
俺は思わず口を押さえた。
押さえなければきっと大声で泣き叫んでいただろう。
目がヒリヒリと痛み、頬が熱くなる。
「分かってた…分かってた…のに…」
目の前がかすむ…。
俺は大粒の涙をこぼした。
「母さん…かあさん…かぁ…」
嫌だ…いやだよ…。
地面を見つめて、ただ…だた泣いていた。
乾いているコンクリートの色が、俺の涙で変わっていく。
そう…知っていたのだ。
分かっていたのだ…。
母さんが死ぬことは…。
「うそ!」
「ううん。本当よ。」
「だって…だって…」
それはあまりにも突然だった。
半年前の夏。
俺は無理矢理母さんに誘われ、川原を散歩していた。
散歩好きの母さんはいつも一人で、長い散歩コースを2・3時間かけて歩く。
だか、今日はどうしても一緒に来てほしいと言って聞かなかった。
「母さん、もうすぐ死ぬんだって…病気なんだって…」
母さんの口からその言葉を聴いて、俺は冗談だと思った。いや…思いたかった。
「だって…こんなに元気なのに…」
俺の言葉がかすれる。
そんなこと急に言われても全然実感わかないし、本人はのんびり散歩してるし…。
全然病気にかからない…母さんだったのに…。
「いや〜今年もきれいに咲いてるわね〜」
俺の不安そうな顔を少し見ると、母さんはその話をやめた。
俺もこれ以上聞けなかった…。
怖かった。母さんが死ぬ…なんて話…。
「………」
その川原は一面、ひまわりの花が咲いていた。
どの花も同じように太陽の方向に向いている。
黄色の花びらが青空を背に、太陽に負けないぐらい輝いていた。
「きれいなサンフラワーだね〜」
風に帽子を持っていかれないように押さえながら母さんが言った。
「何で…死ぬって分かってて、そんな顔できるの…?」
「…?」
「俺はやだよ…母さんが死ぬの…」
俺は地面を見つめながら言った。
「そうね…もうすぐ愛する息子の為にお弁当とか、誕生日ケーキとか作れなくなるものねー」
「そんなことじゃ…なくて…」
母さんのあっさりした返事に俺は戸惑った。
「でもね、母さんはこの人生良かったと思うよ。」
「………」
「あんたが生まれて、日に日に成長していく姿を見るのが嬉しくて…。
あんたが始めて立った時なんかお父さんの仕事場に電話入れて、お父さんに叱られた。『そんなことでいちいち連絡してくるな!』って…でも母さん嬉しくて、うれしくて。」
母さんが照れくさそうに言った。
「そういえば、覚えてる?あんたが小学生になって初めて一人で登下校した時のこと。小さな子犬を連れて帰っちゃって、自分で世話するから飼わせてって玄関で泣きじゃくって…。」
「そんなことあったかな?」
「あった、あった。でも結局母さんが世話して。寿命で死んだ時、いっちょ前にビービー泣いたりして…。
かと思えば急に早い反抗期になって。全然話してくれなくて困らせるし、ガールフレンドができたって聞いたのに顔見せてくれないし。オマケに最近成績下がってるし…手をかける息子。」
嬉しそうに母さんが笑った。それがかえって俺の胸を締め付けた。
「俺…困らせてばっかだね…」
「でも、あんたをここまで育ててこれて、本当に良かったと思ってるんだよ。あんたに会えて本当に良かったって…。
だって、こんなにも母さんを笑顔にさせてくれたんだもの。」
「………」
そこでまた話が止まった。
母さんは一歩前に出て風を感じていた。
「このサンフラワーを見ることも、もう無いんだろうな〜」
「母さんはさ…何でひまわりを『サンフラワー』て呼ぶの?」
「ん?知りたい?」
母さんは後ろを振り返りにこやかに笑った。
「太陽みたいに輝いてる。どんなに小さくても太陽みたいに力強い。…だから。」
「……。」
「母さんはね…サンフラワーみたいになりたかったの。」
「…どういう意味?」
俺はサンフラワーを見つめる母さんの顔を見た。
「太陽に負けないように自分なりに輝いてる…どんなに太陽が強く、巨大なものでもそれに近づこうと頑張ってる。
いつも背筋をピンと張って、いつも太陽の方を見続け、いつも笑ってる。」
「笑ってる?」
「そう、笑ってる。あんなに眩しい笑顔をいつでもしていたい…。
だから母さんはサンフラワーになりたいの。太陽みたいな大きな目標に向かっていきたかったの。」
「…かあ…さん…」
「…あんたにもそうなってもらいたい。」
「…?」
「サンフラワーの様に太陽をもって、笑顔でいてほしいの。
そりゃあ、時には辛いことがあると思う。笑っていられないこともあると思う。
そんな時は笑わなくていいの。
辛いことがあったら泣けばいい。涙は笑顔の栄養になるから。
辛いこと、苦しいことがあって、それを乗り越えたらきっと今よりもっともっといい笑顔になれると思うから。」
母さんは俺の方を改めて向いた。
「だから、あなたにはサンフラワーの様になってもらいたい。笑顔でいてもらいたいの。」
「……。」
俺は何も言い返せなった。
母さんはいつもこんなことを考えていたのかと驚いた。
「良かった。最後のサンフラワーを一緒に見られて。
ちゃんとこのことも伝えられて……。」
そう言って母さんはサンフラワーに負けないぐらいの笑顔を見せた。
………。
それからだった。母さんの病状が悪くなったのは。
半年間、少しずつ衰えていく母さんを俺は見ていられなかった。
でも、母さんに会いたくて…母さんの笑顔が見たくて、毎日のように病院に通った。
母さんは病状が悪くなっていくのに、いつも笑顔で俺を迎えてくれた。
「かあ…さん…」
俺はヒザを抱えるように座り、ただ泣いていた。
涙は止めどなく流れて、もう声も出ない…。
母さん…今は泣いてもいいよね?
辛いんだ…すごく。
苦しいんだ…。
「うぅぅ…っ…」
『太陽に負けないように自分なりに輝いてる…どんなに太陽が強く、巨大なものでもそれに近づこうと自分なりに頑張ってる。』
「…ぅぅ…」
『サンフラワーの様になってもらいたいの。笑顔でいてもらいたいの。』
「母さん…」
俺は涙を拭き取った。
「違う!」
そうだ…
「違う…違う違う違う!」
今は、泣いてる時じゃない!
辛いけど…苦しいけど…けど…!
俺は幾度となく流れる涙を何度も拭き取って立ち上がり歩き出した。
自動ドアを抜け、病室まで進む。
病室に着くと俺は無言で、中に足を踏み入れた。
中はひんやりしていて、母さんの呼吸の音も、鼓動の音も聞こえない。
『サンフラワーの様になってもらいたいの。笑顔でいてもらいたいの。』
涙がまたこぼれだし、頬を伝っていく。
俺の流した涙が床に落ち、静かな部屋の中に響いた.。
でも、笑いたい。
笑って言いたい。
…『ありがとう』って…
…『俺の太陽は母さんだ』って…
俺は前をしっかり見た。
サンフラワーの笑顔で…。
太陽に…母さんに負けないほどの笑顔で…。
「母さん―――――。」
END